『プラダを着た悪魔』で考える、本当に部下のためになる上司とは?
「本当に部下のためになる上司」とは、どんな上司なのでしょうか。
やさしい上司でしょうか。厳しく育てる上司でしょうか。 チャンスを与える上司でしょうか。 それとも、本人が気づいていない別の可能性を示す上司でしょうか。
映画『プラダを着た悪魔』は、ファッション映画としても、 成長物語としても楽しめる作品です。
でも、働くこと、人事、キャリアの視点で見直すと、 この映画にはもうひとつの面白さがあります。
それは、人を見立て、配置し、機会を渡す 「人事のドラマ」としての面白さです。
人事は、きれいごとだけでは動かない
人事というと、採用、異動、昇進、評価制度のような、 きれいに整理された仕組みを思い浮かべるかもしれません。
でも、実際の職場で起きている人事は、もっと生々しいものです。
- 誰を抜擢するのか
- 誰を外すのか
- 誰に任せるのか
- 誰を残すのか
- 誰にチャンスを渡すのか
そこには、本人の能力や適性だけではなく、 組織の事情、上司の思惑、タイミング、人間関係、力関係も混ざります。
誰かを選ぶことは、誰かを選ばないことでもあります。 誰かに機会を渡すことは、別の誰かの機会を動かすことでもあります。
育成に見える判断が、組織を守る判断でもある。 本人のために見える判断が、上司や会社の都合を含んでいることもある。
時には、人が人を利用することもあります。 反対に、誰かに利用されながら、結果として新しい機会を得ることもあります。
人事は、きれいごとだけでは動きません。
だからこそ、若手のうちから知っておいた方がいいことがあります。
キャリアは、自分の努力だけで決まるわけではありません。 会社の評価だけで決まるわけでもありません。
本人の希望。上司の見立て。会社の判断。 そして、その時々の組織の事情。
そのあいだで、人のキャリアは形づくられていきます。
エミリーは、追いやられたのか。適性を見られていたのか。
この視点で見ると、第2作で描かれるエミリーのキャリアは、 とても興味深いものです。
エミリーは、ミランダにRUNWAYから追い払われた、 という趣旨で語ります。
本人の言葉だけを聞けば、それは 「追いやられた」という受け取り方になります。
自分がいたかった場所から外された。 やりたかった仕事から離された。 選ばれなかった。
そう感じるのは、自然なことです。
一方で、RUNWAYを離れた先にあったのは、Diorでのキャリアでした。
しかも、ナイジェルはエミリーに対して、 小売りのほうが向いている、という趣旨の言葉を語ります。
そう考えると、ミランダはエミリーを単に外したのではなく、 彼女の別の適性を見ていた、とも受け取れます。
もちろん、それを簡単に美談として片づける必要はありません。
ミランダは、エミリーのためだけに動いたわけではないかもしれない。 RUNWAYを守るためだったかもしれない。 自分の立場を守るためだったかもしれない。 組織の力学の中で、エミリーを動かしただけだったのかもしれない。
でも、結果としてエミリーは別の場所で力を発揮している。
ここが、この映画の面白いところです。
ひとつの人事判断が、見る角度によって違って見える。
- 追いやったようにも見える
- 適性を見ていたようにも見える
- 組織を守ったようにも見える
- 誰かを利用したようにも、誰かに利用されたようにも見える
そして、それが職場のリアルでもあります。
「部下のため」は、そんなに単純ではない
上司は、ときに部下本人よりも、 その人の強みや可能性に気づくことがあります。
本人は「この仕事がやりたい」と思っている。 でも、上司から見ると、別の場所の方が力を発揮できるように見える。
本人は今のポジションにこだわっている。 でも、組織としては別の役割を任せたい。
そのとき、上司が「これは本人のためだ」と思って判断することがあります。
ただし、難しいのは、本人が同じように受け取るとは限らないことです。
- 導かれたと感じる人もいる
- 追いやられたと感じる人もいる
- 期待されたと感じる人もいる
- 選ばれなかったと感じる人もいる
上司にとっては、見立てた結果かもしれない。 組織にとっては、必要な配置かもしれない。 本人にとっては、望んでいた道を外された経験かもしれない。
つまり、「部下のため」は、ひとつの視点だけでは決まりません。
上司の意図だけでもない。 本人の希望だけでもない。 会社の事情だけでもない。
そのあいだで、キャリアは形づくられていきます。
だから、人のキャリアに関わる判断には責任があります。
若手が知っておきたい、人事のリアル
若手のうちは、自分のキャリアを 「努力すれば開けるもの」と考えたくなります。
もちろん、努力は大切です。 力をつけることも、結果を出すことも、 信頼を積み上げることも必要です。
でも、組織で働くキャリアは、それだけでは動きません。
- 誰が自分をどう見ているのか
- どんな場面で名前が挙がるのか
- どの仕事を任されるのか
- どの機会から外されるのか
- 誰の都合で、自分の役割が変わるのか
そうしたものが、キャリアに影響します。
これは、悲観するための話ではありません。
むしろ、組織で働くなら、人事にはそういう現実があると知っておいた方がいい。
- 「上司が見てくれているはず」と受け身になりすぎないこと
- 「会社が決めたのだから仕方ない」と飲み込みすぎないこと
- 「自分の希望だけで進めるはず」と思い込みすぎないこと
自分は何をしたいのか。 何が得意なのか。 どんな機会を取りに行きたいのか。 どんな扱われ方には違和感があるのか。
それを言葉にしておくことが、働くうえでは大切になります。
人事は、利用したり、利用されたりする場面もあります。 でも、それだけではありません。
誰かの見立てによって、思いがけない可能性が開くこともあります。 自分では選ばなかった場所で、力を発揮することもあります。 悔しかった異動が、あとからキャリアの転機になることもあります。
だからこそ、組織の中で起きる人事を、 ただ「よかった」「悪かった」で終わらせないことです。
何を見られていたのか。 何を任されたのか。 何を外されたのか。 そこに誰の都合があったのか。 そして、自分はそれをどう受け取るのか。
そこまで考えることで、自分のキャリアを少しずつ自分の言葉で捉えられるようになります。
計画された偶然性という考え方
ここで重なるのが、キャリア理論でいう 「計画された偶然性」という考え方です。
英語では、プランド・ハプンスタンスとも呼ばれます。
HRproの人事用語集 では、計画された偶発性理論について、 予期せぬ偶然の出来事に対応する経験の積み重ねによって、 よりよいキャリアが形成されるという考え方として紹介されています。
また、Mitchell、Levin、Krumboltzによる論文 Planned Happenstance: Constructing Unexpected Career Opportunities では、予期しない出来事が学びの機会になり得ることが示されています。
キャリアは、最初からすべて計画通りに進むものではありません。
- 思いがけない異動
- 予定していなかった担当変更
- たまたま任された仕事
- 誰かの都合で回ってきた役割
その瞬間は、不本意に感じることもあります。
でも、そこで一度引き受けてみることで、 自分では気づいていなかった強みが見えたり、 新しい人との出会いが生まれたり、 次のキャリアにつながる経験になることがあります。
もちろん、何でも黙って受け入れればいい、という話ではありません。
納得できないことは、考えていい。 違和感があるなら、言葉にしていい。 自分の希望を持つことも大切です。
ただ、キャリアには、自分で計画した道だけではなく、 思いがけず渡された機会から開ける道もあります。
だから、チャンスが来たときに、 最初から「これは自分の予定と違う」と切り捨てるのではなく、 一度引き受けてみる。
やってみる。関わってみる。 そこで何が得られるかを見てみる。
その姿勢が、自分のキャリアを広げることがあります。
大切なのは、ただ流されることではありません。
- なぜ自分にこの機会が来たのか
- ここで何を身につけられるのか
- この経験を、次にどうつなげられるのか
そう考えながら動くことです。
人事の判断には、会社の都合も、上司の思惑も混ざります。
それでも、その中にある偶然の機会を、 自分のキャリアの材料に変えていくことはできます。
本当に部下のためになる上司とは?
本当に部下のためになる上司とは、何でしょうか。
- 人の可能性を見抜くこと
- 厳しく育てること
- チャンスを与えること
- 別の可能性を示すこと
そのどれも、部下のためになることがあります。
でも、それは同時に、部下の希望を超えて踏み込むことでもあります。 組織の都合と重なることでもあります。 上司自身の立場や保身と切り離せないこともあります。
だから、「部下のためになる上司」は、 単純に優しい上司のことではありません。
厳しい上司のことでもありません。 結果を出させる上司のことだけでもありません。 本人の希望をすべて叶える上司のことでもありません。
部下の可能性を見立てながら、組織の現実も引き受ける。 その判断が人のキャリアに影響することを、軽く扱わない。 そして、自分の判断が相手にどう受け取られるかを、想像し続ける。
そこに、上司としての難しさがあります。
『プラダを着た悪魔』は、華やかなファッション映画でありながら、 人事のリアルを感じさせる作品でもあります。
ミランダの判断は、部下のためだったのか。 組織のためだったのか。 自分のためだったのか。 それとも、そのすべてが混ざっていたのか。
答えはひとつではありません。
だからこそ、この映画は、働くこと、上司と部下、 そしてキャリアについて、何度でも考えたくなる作品なのだと思います。

